【夜型の朝方―わるい空想に寄せて―】                  上之蛭子

おれが音楽をやってる理由は、あるとすれば「誰かに聴いてほしい」かもしれないし、「正しく生きたい」かもしれない。でも全部最後には大事に残らない。どうでもいい。きれいな音が出したい。

 

こんばんは。ひるこです。ふとしたきっかけがあり、まとまった文章を書くことになりました。先日の全曲レビューから再開して、気持ち的にはすごく久しぶりです。いつも自分に宛てた交換日記しか書いていないので、こうした「誰かに読んでもらいたい」のはどうすればいいのかなんて忘れてしまったけど、まぁあんまり気にしないで、読むのは友達ではない、親友に似たみんなだから。思いついただけを書いてみます。

 

2015年に上京するまで、関西に住んでいた頃の、自分自身のテーマは足し算だったように思う。自己評価の低いおれはできるだけ客観的に、どこから来ても殺せるように、考えて考えて考えて考えて今あるものの上に積み上げ隙間なく壁を立てなきゃ気が済まなかった。どれだけ考えてもおれが考える客観は、おれが考えるんだから結局それは主観でしかないんだけど、でもそのおかげで他人の立場になることを自然とできるようになったし、でも見なくていいものまで見たりして、それすら投げ返そうとしたりして。全然否定も後悔もないけどね。隙間を詰めていた。だって自分のこと嫌いなんだもん。だから理想の自分になりたくて。なってやんないと。自分に大丈夫って言ってあげたいから。

 

上京してメンバーが抜け、それはこれまで何度もあったことだけど、環境の変化がそれに拍車をかけ音について考えたくなくなった。具体的に言うと毎日6時間やってた練習に、自分に課していたものについていけなくなったんだと思う。そこで思いついたのは『「何もしない」をする』ことだった。ふなもとは他方でセッションに参加し、あえてこれまでやっていた方法をやめてみた(おれは夜道を徘徊して、雨音をリズムに歌ってみたり影絵をしたり小学生以下の一人遊びをしてました。心霊スポットばかりググってましたあとは後述のやべとのセッションくらい)。結果はすぐに出て、おれたちが本来持ってる味というか、匂いというか、これまで以上に音で表現できるようになっていった。

 

そんな折に元・倫敦水槽のやべしん(今は奥名懋一、という名義でやっている。おれはしばらく彼とセッションをしていたが、喧嘩別れしてしまった。彼も正しいがおれにも正しいがあった。音楽家としては後悔していないが、友人としてはまた仲良くしたいなぁと思ってる。余談だけど。)から紹介されたのがサクライマリィ。数年前U.F.O.CLUBで会った以来で全然知らなかったけど、セッションに熱中していたおれとふなもとにとって新しい遊び相手ができると深夜中野のスタジオへ入った。これまでカタチになっていなかった曲が唄いだした。

 

その中で録ったのが【青いうてな】e.p.です。覚えただけであとはその場で楽器を気持ちで振り下ろすだけ、一発録り。最初は記録用のつもりだったのが、現在位置残しておくためにカセットでリリース。テンション上がって九州からディレクター江口君を呼んでPV製作。お寺借りたり。ウケるかどうかじゃないもん。今一番楽しい遊びに対して真剣に向き合ってただけ。でもカセットというイマドキにとってイジワルな媒体でユニオンチャートにノッたのは正直ざまーみろって思いました。買ってくれた皆さん、ありがとう。

それから曲は急に増えだし、アルバムが作れるまでになった。

 

アルバムを作るといってもコンセプトや何を言いたいのか、これまでのように決めよう見出そうとはしなかった。12曲全てが別個でありながら、全てが同じものを見ていたので。それはこの三人になったから、自然にできるようになったことです。何かが足りない、よりもこれが多い、これを前面にするためにそれをしない(またはやめる)と、引き算で考えるようになった。

東京って何でもあって、何にもない。砂漠では人の森が寒そうに距離を置いて立っているから、自分の好きな人や物や可能性が、多すぎて多すぎて、落として、開き直って最後どうしても放したくなかった一個だけを、大事に、手の器でこぼさないように、ゆっくり口元に持っていくようなところで。ここではそれがすごく愉快だ。

 

録音のコンセプトは見出そうとしなくても自然に発生した。誰の目も気にしないでやりたい放題やる、それだけ。録音エンジニアの前川さんとは相当バトりました。三日間ぶっ通しでスタジオロックアウト、その間ほとんど主にマイクの置き位置のことで言い合い。自分達の出したい音100パー出すなんか無理なのかもしれないけど、無理だからといってやってはいけないわけじゃないから。そんなわけで一日目なんて家帰っても脳みそにドラムの音がこびりついてうるさくて眠れなかったし、二日目はギターアンプと、ファズと心中未遂して、最終日は「夜明けの晩に」録音中に血吐いたけど、それも込みでめちゃくちゃ遊ばせてもらいました。めっちゃ楽しくて身体のことを忘れてた。

うまくいった下地にギターと声を重ね、ミックスでまた言い合いし、中村宗一郎さんにマスタリングを依頼して(ピースミュージックは音の粒子までわかるすごいスタジオだった!音っておもしろい)完成。

 

ジャケットについては奇島残月さんと連日深夜話し合った。飛田遊郭の上に住んでた頃の不思議な話から、目を閉じるとそこにも宇宙があること、瞼を圧迫して銀河を出す遊びのこと、悪い企み事。それら点と点が結びついて、フラクタルや飛蚊症を空想に喩える案が出てきた。表題曲はこの時点で名前が【わるい空想】に決まった。最初は【こねこちゃん】というタイトルだったんだけどね。

話は戻るけど【小鳥は逃げた】がマリィくんが入ったことで【夜明けの晩に】になり、【夕陽に執念】から執念が抜け【サイケ】になったりタイトルが如実に変化してる。【灰だらけ】はもともと【ラッセンの絵】というタイトルでした(緊張から広く展開する感覚がラッセンの絵のようだったため)。【ファーとズー】はもともと【幻の巣箱】製作中の没曲だったけど、今の三人でロールさせるとしっくりきたので、収録することになった。思われたいから不幸のフリ、でも言いたいこととか何もない。はぁ?自分で自分に呪いをかけて上手くいってるつもりなのがムカつくんだよ死ね!(赤い下駄の最後の「死ね」は本気です。君の代わりに言えてたら嬉しい)変化して変化して、今しかできない音出せてる。

 

最近試みていることは、ライブで曲だけ決めておいて、その場でやってきた波に乗って曲をその場で再構築することです。テイクによっては全然違う曲になってる。大阪、名古屋で披露した【逆さまの海】や【わるい空想】は、レコーディングとは全然違ったアレンジで、演奏してるおれらもどこへ飛んでるのかわからなくてすごく楽しい。うまくいかないテイクもあるだろうけど、そんなのは正解も間違いもないから。その時にしか無い息遣いを是非感じてほしいです。

  

12曲の発端は全部、おれがおれに向けて言ったことです。とても個人的かもしれないけど表明することで、ひとかけらでも誰かとピースが合ったらいいなって思う。おれは寂しがりなので。おれの夜をきみにあげるけど、別にわかってもらえなくても全然いいから。強制も無理強いもしない。もし何か言ってあげられるとするなら、勝手に空想して、次の朝ちゃんと起きてね。夜更かしはほどほどにね。自分に呪いをかけるより、おまじないをかけてね。じゃあまた話そう。おやすみ。

HP更新履歴

☆DISCOGRAPHY☆

 3rdアルバム『わるい空想』¥2300

 カセットep『青いうてな』¥1000

実況録音盤『金襴緞子』¥2000

 

2ndアルバム『幻の巣箱』税込¥2700

1stアルバム『あなたの絶頂に蛸の脚を貸しましょう』 ¥1600